ストウダイキの簡単な経歴
「すとろぐ.com」を運営している23歳。
パーソナルトレーナーの国際資格NSCA-CPTという資格を持ちトレーニングやダイエットについても少し詳しいです。
今は、大学生や専門学校生に向けて、働き方や考え方についての記事を中心にブログを書いています。
超田舎の普通の家庭に生まれる
僕は山形県で生まれ、育ちました。山形県ってみなさん思う通りめちゃ田舎です。ラウンドワンもないんですよ泣
で、僕の家族構成は、父、母、祖父、祖母、弟、僕の6人家族でした。
田舎では一般的な祖父と孫が同居する3世帯家族です。
両親は共働きで、幼い頃は祖父も仕事をしていたので、よく祖母と遊んでいました。おばあちゃん子ってやつです。
田舎なので、友達の家も遠くて友達と遊ぶのは土日くらいでした。
そんな感じですくすくと育っていきました。
無口な幼稚園生
今覚えている僕の一番古い記憶は幼稚園時代です。
幼稚園生ってとても無邪気で可愛いイメージですが、僕は違いました。
基本的に自分から友達に話しかけることができず、友達が僕に構ってくれることでなんとか幼稚園生活を乗り切れたかのように思います。
めちゃくちゃ無口で人見知りで人と関わることが苦手でした。(今でもコミュ障です。)
でも何故かスポーツは得意で運動会とかのリレーでは、エース級に走るのが速かったので友達ができたのかな?
運動神経がなかったら、多分いじめられていました。
でも、無口でクールでスポーツできるやつってカッコイイと思っています笑
野球をきっかけに自信を持ち始めた小学生時代
小学校4年生の時に、父や小学校のクラスメートの影響で野球を始めました。
ほぼ僕の通う小学校の生徒のみが入団するスポーツ少年団だったんですが、そのチームは毎年県大会にも出場し、全国大会にも出場経験がある強豪でした。
いきなりレベルの高いチームに入ってしまい、平日も学校終わりに練習という小学生にしてはハードな日々。
それまで遊んでいた友達とは、ほぼ遊ばなくなり、僕は野球中心の生活に変わっていきました。
毎日が野球でしたが特に嫌でもなく楽しい日々でした。
で、野球の実力の方も何故かセンスがあり、小学6年生にはエースピッチャーとして県でベスト4にチームを導きました。
その時期から自分に自信がつき、初めて会うような人とも話せるようになっていきました。
自分勝手な中学生時代
小学生で県ベスト4を経験した僕は自分の実力に慢心していました。
中学生になってもピッチャーとして、地区では結構注目されるレベルでした。
2年生からエースで、地区準優勝(決勝は投げていない笑)を経験したりしました。
その頃からチームでもなんか特別扱いをされるようになり、どんどん自分勝手になっていきました。
・自分のしたくない練習はやらない。
・グランド整備は他人に任せる
こんな感じでやっていても全く顧問に怒られることがなく特別な気分でした。
挫折を経験した高校時代
野球推薦で高校に入学が決まった僕は、中学生を卒業してすぐに同じ推薦組と一般入部生よりも早く高校の練習に参加していました。
何もしていないのに、1年生で試合に使ってもらえたりして、ここでも他のメンバーよりも優遇されていたと思います。
チーム内の競争にのまれ始める。
高校は私立で県内外からいい選手が入ってきていました。
そして、部員も中学校時代とは比べものにならないくらい多いです。
僕は中学までセンスのみで野球をやってきてチーム内の競争を経験したことがなかったんです。
試合でまったく結果を出せない
僕の想像していた以上に高校野球のレベルが高く、高校一年の秋くらいから、まったく実力がついていけなくなりました。
僕の高校は結果を出せる者のみが試合で使われます。そしてチーム内でも1軍2軍のような感じで実力ごとにわけられます。
僕は、試合で結果が出せず下部チームに所属していました。
「このままだと、3年間公式戦に出られない」
そのことに気づき、必死で努力をするようになりました。
練習も与えられたものばかりではなく、自分で調べたり考えたりしながら、なんとか上に上がれるように努力するようになりました。
野球人生に関わる怪我をする
高校野球は実質2年半という短い時間しかありません。そのことを理解していたので当時の僕はかなり焦っていました。
そんなある日に、ボールを投げたら右肘からブチっという音がしました。その直後に猛烈な痛みが僕を襲ってきてきました。
でも、なんとかして結果を出さないといけないという思いだった僕は数日間は痛みをこらえながら騙し騙し練習していました。
でもある時に限界が来て、病院に行くことにしました。
その結果、
「右肘内側側副靭帯部分断裂(みぎひじないそくそくふくじんたい)」という当時初めて聞く名前の症状をドクターに申告されました。
その時で、1年生の冬を迎えるあたりで、手術をしても復帰まで2年かかるとのことでした。
初めて一人で努力をするようになる
ドクターに手術なしでリハビリをして奇跡的な回復で投げれるようなった選手もいるという情報を聞き、僕はその一か八かの方法を選ぶことにしました。
その日から、毎日部活が終わって家に帰ってから担当の理学療法士(リハビリの先生)に言われた通りのメニューをやりました。
それまで努力と語っていたものは、仲間と一緒に練習するものでしたが、この時から初めて一人で黙々と誰にも見られない本当に努力と呼べるようなものを始めました
結果からいうと、1年半積み重ねたその努力では試合で投げれるまでは回復しませんでした。
しかし、この一人で黙々とリハビリを行っていた時間は、僕にとって新たな人生に導いてくれたと思っています。
この一人で黙々と何かを行う時間を経験したことで、今こうやって一人でブログを書けているのかなと思います。
進学で山形から東京に上京する
高校を卒業と同時に上京し専門学校に入学しました。
僕が入学した専門学校はスポーツ系の専門学校で、スポーツのパフォーマンスを上げるためのトレーニングやダイエットのためのトレーニング、筋力アップのことなどを学ぶ学校でした。
従兄弟が東京に住んでいるため、東京には何度か訪れたことはあったのですが、それでも上京当初は渋谷とか新宿とか行くとビルがバンバン建っていてめちゃくちゃ興奮しましたね。
専門学校で筋トレに目覚める
最初は都心に出て遊んでいたのですが、状況して1ヶ月くらいで全く都心には出なくなりました。なぜなら、筋トレにハマってしまったからです。
今でも筋トレは趣味でやっていてとても楽しいですね。
筋トレを始めたきっかけは専門学校で出会った友達に誘われてジムに行ったら一発でハマりましたね。
当時の写真がこれです。
授業中のお供はプロテインでした。とにかく、タンパク質、タンパク質って言ってクラスの女子からは引かれてました笑
授業をサボってジムに行くくらい筋トレにハマってて、毎日筋トレのことばっか考えていましたね。
学生時代は筋トレしかしてなかった記憶。まぁ学校行っても筋トレの授業しかなかったですからね。
卒業式が終わった後、就職活動を始める
ぼくは、専門学校在学中の2年間は学校とジムにしか行ってませんでした。
当時ぼくは、筋肉を大きくすることしか頭になく、就職のことなんて全く考える暇もなかったです笑
卒業式を終えて、初めて進路が決まってないことに気づき就職活動を始めました。
進路がなかったので、とにかくどこでもいいから入ろうと思っていた僕は、なんとなくで受けた会社に一発合格。二次試験も役員面接も無く正社員としての入社が決まりました。
今覚えば、一回しか面接がない会社なんてめちゃくちゃ怪しい会社ですよね。
入社とともに約200万の借金を背負う
社会人になると在学中に借りていた奨学金の返済が始まります。と同時に僕が入社した会社では仕事をするために受講費50万近くする資格を自腹で払って取得しなければならず、奨学金と合わせて約200万円の借金を社会人スタート同時に背負いました。
詐欺に引っかかったような気分ですね。一応入社前に説明は受けていたんですけど、ここで借金を背負わなければ、進路がないという焦りに負けましたね。
就職しなくても全然いきていけたのに。はぁ後悔。
就職するも4ヶ月で退社する
就職活動1週間で決まッた会社も1ヶ月で退職を決意します。
当然、自分のやりたいようなことは一切なく、さらに労働時間が毎日12時間くらいあって好きな筋トレもできない。最悪ですよ。
当時、僕はジムに行く時間が一番大事だったんです。それを奪われるのが嫌でもう会社を辞めちゃおうって思いましたね。
会社を辞めたことで考え方が変わった
僕は、4ヶ月で会社を辞めて良かったと思っています。
会社にいると、面倒な人間関係とか拘束時間とかそういうことばかりマイナスに見られますが、僕はそこが一番マイナスではないと思っています。今の会社の人間関係や拘束時間が嫌であれば、条件のいい会社に移ればいいだけの話ですからね。
僕が思う会社にいることのマイナスは、思考が停止しやすいことです。
会社では上司の指示通りに動く、言われたことをきちんとやることが評価されます。
それはそれで優秀だとは思いますが、それではなんかロボットのような気もするのです。
僕は、会社を辞めてフリーランスになったのですが、素人でいきなりフリーランスってめちゃくちゃ大変でした。でもその分、どうやったら仕事を取れるか、どうやったら仕事を作れるかって考えるようになるんですね。
仕事って誰かから与えられるものではないと思うんですよ。
いつまでも、誰かから仕事をもらうのは、口に食べ物を運んでもらう赤ちゃんのようだと思っていて、それだと、めっちゃ楽だから考えることを辞めるんですよね。
でも誰かに食べさせられるっていうのは、自分の食べたいものじゃないものまで口に運ばれてきたりする可能性だってあります。もうお腹いっぱいなのにいつまでも運ばれてきたり。
仕事で言うと自分の好きじゃないものが与えられたり、もう手が回らないのに無茶を強いられたりするわけですよ。
大人になったら、自分で好きなように選んで好きなようにご飯食べるじゃないですか。
僕も仕事においてそういう風にしたいなと思ったわけです。
2015年9月からフリーランスのパーソナルトレーナーとして活動する
会社を辞めて1ヶ月後、フリーランスとして独立しました。
フリーランスになると言った時、周りにいる全ての人に反対されたのを覚えている。そんな反対を押し切り僕は独立した。
独立するものの全く稼げない
経験も知識も浅い状況で独立したぼくはフリーランスになるものの全く稼げませんでした。
「こんなにも稼げないのか」と。当時のぼくは肩書きだけのフリーランスで、ほとんと無職と変わらない生活でしたよ。
会社ではそこそこ仕事ができたけど、会社の看板がなくなると全く稼げなくなる。
「専門知識だけでは、フリーランスとしてやっていけない。」
こう思いました。
マーケティング、集客、サービスの質、セールス力、コミュニケーション能力、全てにおいてぼくは劣っていました。
しかし、フリーランスとして独立したという過去は、ぼくを成長させてくれる大きな経験となったのには間違いありません。
会社を辞めて、また別の会社に転職してたら何も考えず、ただ上司から言われたことをやって給料をもらう生活だったでしょう。
なんだかんだで1年間ほどフリーランス生活を続けましたが、フリーランスという誰にも時間、環境、作業を縛られない生活をこれ以上続けてもぼくはダラけてしまうだけだなと思いIT企業に転職しました。
手に職をつけたい想いでIT企業へ
パーソナルトレーナーという仕事も手に職ではあるのですが、その知識だけでは食べていけません。
ぼくがフリーランスで気づいたのは、お客様を自分の目の前まで連れてくることができないということでした。つまり集客力がぼくにはないということです。
どんなに良いサービスでもお客様に知ってもらえなければ売れることは絶対にありえません。
そこでぼくが目をつけたのはWeb発信力です。今こうしてブログを運営しているのもWeb発信力の重要性に気づいたからなんです。
今、この情報社会で自分のスキルで生きていくためにはWeb発信力が絶対必要だと。
IT企業に転職し、メディア運営を担当させていただきながら、Webマーケティング、セールスライティング、SEOなど多くのことを学ばせていただいております。
多くの人って、専門知識や技術を身につけて商品、サービスを良くすれば売れるだろうと思っている人が多いのですが、売る仕組みを構築していないと全くと言っていいほど売れないんですよね。
悪く言ってしまえば、悪い商品でも売る仕組みさえ構築していれば売れるわけなんです。
インターネットでの発信力をつければ、個人でも自分のサービスをアピールすることができます。
ぼくは、IT企業で働きながらそれを学ばせていただいております。
競争に勝つための努力は今後のキャリアでも必要
僕が、自分の人生をもって伝えたいことは、競争に勝つための努力は社会に出ても必要だということです。
今、なんとなく上手くいっていても、頑張るという行為を経験しておくべきだと思っています。
好きなことだから頑張れる
頑張る行為ってとても辛いことだと思うかもしれません。確かに楽ではないです。
でも頑張る行為って好きなことだからできるのだと思います。
僕が、高校時代に頑張れたのも当時、野球が好きだったからです。野球が好きで試合で活躍する楽しみとか嬉しさとかを知っていたからなんです。
だから、頑張るって意外と簡単なんです。
個人で努力するから楽しい
そして、頑張ること、努力することは一人でやるのが一番です。
僕は、誰かの監視下でやるのが好きでなないです。というか楽しくない。
誰かにやれと言われたものでも、誰も見てないところでやることで自由に自分なりのアイディアでできたりするのが楽しいんだと思います。それで結果が出たりするともっと楽しい。
それに、一人で楽しく頑張る時間が多い人ほど結果が出てたりします。
そんなことに気づいてから、僕は楽しく生きれています。
情報発信は自分の人生を豊かにしてくれる
情報発信は自分の人生を豊かにするための行為だと思っています。
ブログを通して多くの人に出会うことができましたし、お金を稼ぐこともできています。
自分の価値観に共感してくれる仲間が増えれば、毎日は楽しくなります。
情報発信によって人生は変わる
そう信じています。
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